技大祭を終えて3 執行部の1員として

執行部としての活動期間

執行部として活動したのは正味5ヶ月もなかったかもしれない.
10月に発足し, 11~3月中旬までは参加していない.
そして, 7月頭からは自身のことでほぼ参加していない.
つまり, 僕が執行部として活動したのは2015/11, 2016/3, 4, 5, 6月だけである.

執行部としての立ち位置

技大祭を終えて1

技大祭では「局長」位にいる人間は自動的に全体の意思決定を行う「執行部」に所属することになる.    

と書いた.

執行部では, 技大祭にまつわるほぼ全ての決定を行う.
学祭のテーマに始まり, おおよそ300万ほど(だっけな?)の予算分配, 企画運営, 会場管理, 団体管理, 外部団体誘致, 企業協賛, 装飾を執行部で決定する.

僕が所属する情報局の主な任務は「団体管理のツール作成」と「外部への情報公開」だけなので, 他局に比べかなり比重が軽い.
その上, 執行部は学部3~4年生で構成されているので, 修士2年の僕は少し年上になる.

そのため, 初めは「僕は意思決定に参加しない」という条件で執行部に参加していた.

退屈な会議

執行部に入った僕を待っていたのは,
11時間も続く会議, いまいち目的がわからない議案,
何も決っていないのにフェードアウトしていく議案,
終わらないドッグファイト(ただの言い争い).

ずっと同じ密室空間に束縛されて結論が出ないことを考え続けること, しかも何も発言できない状態は非常に苦痛だった.

多少, 学生団体に参加していたため
会議のやり方を少しだけかじっていたのも相まっていたのかもしれない.

自分も相手も執行部未経験なので人のことは言えないはずし, 初陣が最初に踏むべき必要な段階だと今思えばわかる.
当時の自分は -いや, 多分今の自分でもキツイと思うだろうが- 我慢ならないものであった.

口を出し始めた時期

就職が落ち着き, 段々と執行部に顔を出すことが多くなった.
修士2年の同期で, 技大祭に精通している同期がいたため, 「虎の威を借りる狐」のごとく, 大きい顔をして会議で口を出し始めた.

4,5月は自分の力でなんとか会議をよくしよう, 本気でいい学祭を作ろう, そう思い自分自身のタスク(研究とか授業)をないがしろにしながらコミットしていた記憶がある.

反面, 見ればなんとなく結論が見える(決まらない結末も含め)議案に対して, 議案に至るまで何時間もかかる会議にうんざりしていた.
自分自身の意見を求められると釣られたように意見が通ってしまう雰囲気にとてもうんざりしていた.

今思えば, 当時の自分の態度は奢りでしかないし, 「自分がどう思うか」ではなく「全体として何をするか」を優先すべき場面が多くあったと思う.

なおかつ, 議案を自分が提出しているわけでもない.
会議において「議案」はとても重要で, これがしっかりしていれば決まるし, これがあいまいだと「議案」の定義に終始して終わらない会議が始まる.
つまり, 当時の僕は自分では何もやっていないのに「頑張っている人間を責める」立場にたっていた. 議案を決めていた2人は会議の数日前に必ず夜中まで残っていた. ここは, とても申し訳ない.

「邪魔者」だと認識した時期

そして, 6月頃には司会の立場を担っているはずの副委員長よりも先に議論を止め, 好き放題ものを言っていたと記憶している. 6月頃は, 踏み込み過ぎたアクセルのように空転を繰り返していた.
本気でやろうとすればするほど, 孤立し空回りしていた.

段々, 「今思えば」が枕詞になってきた気がする.
今思えば, 僕が司会をやってしまっているのだから, 後輩は司会がうまくなるはずがない.
加えて, 僕がいることで発言に恐怖がつきまとうし, 「ディスカッション」を邪魔している. あと, 2,3つ上の先輩に強く意見できるはずもなく, 正しくない意見も通ってしまっていた.

例えば, 僕が言いだしたgmail移行, google driveの採用は結構簡単に会議を通過したように記憶している.

当時は本気で必要だと思い導入した(好奇心がないとは言い切れない)が, それらは結果的に執行部の仕事を増やしていた.

「執行部」としての立場を捨てたきっかけ

元々, 「技術」について興味があり局長になったという部分は前の記事でご理解いただけていると思う.

執行部として過ごしている中で,
段々と「害」になっている自分,
「全体運営」に対する興味が薄れている自分,
「局の仕事, 執行部, 研究, 内定先のタスク」と自分自身のタスクが多すぎて処理できずにいる自分
に気づき, ストレスフルな日々が続いた.
そして, 段々と「当日」が自分のなかで現実的なものとなり, 「情報局長」としての立場でできることの少なさに気づいた時期もこの頃であった.

要約すると「本心から興味がない部分に長時間を消費されること」に心底嫌になっていた.

そして6月末に, 自分の価値観の中で一番優先度の低い「執行部」を切り捨てることに決めた.

今思えば, 好きなことだけをしようとあまり好きでないものを切り捨てただけのように感じている.

執行部を離れた7, 8月

7月は, 8月頭にある中間発表に向けた研究と内定者に与えられたWebアプリの開発に明け暮れていた.
とはいえ, 執行部に行っていない罪悪感はもちろんあり, 反面, 好きなことをして過ごしている開放感の間にいた.

8月は, 中間発表を終えてから, 内定先に行き3週間のインターンの手伝いをしていた. そこで学ぶことは多かった. 専門的に今の自分に何が足りていないか, どういうものを目指して勉強すればいいのかを知れた. 内定者, インターン生, 社員との交流の中で, 来年就きたい部署のイメージが湧いた.

7, 8月は多くの経験, 思想を学んだし, 多くの遊びを経験したし修士2年として過ごし方そのものは決して間違っていなかったと思っている.

その犠牲として, 6月末からはほぼ執行部に参加していない.

浦島太郎として帰宅した9月

インターン手伝いを終え, 9月に帰ってきた自分は当たり前であるが「執行部」として全く機能しない人間となっていた.
そして, 自身も技大祭について知らないことが多すぎるため, 執行部としてのモチベーションも全くなかった. そのくせ, 最後の最後に参加したミーティングでは昨年度の経験を振りかざし「6月の自分」の立場で物事を発していた.
当然, 他の局長からの信頼は完全になくなっており, 全くの「役立たず」として当日を迎えた.

圧倒的な能力差を感じた準備日, 当日1日目

準備日, 当日1日目を過ごした僕は「圧倒的な能力差」を感じた.

この2ヶ月間,
僕は「僕のために」時間を使い,
彼らは「技大祭を良くするために」時間を 使ってきたのだから当然であった.

彼らは「技大祭として提供できること」を考えて行動していた.
僕は, 「自身 / 情報局として提供できること」という狭いスケールの中でしか物を判断できていなかった.

当日1日目にOBが言っていた言葉で印象的な言葉がある.

「技大祭実行委員会は, 参加団体, 来てくれるお客さんが居て初めて存在している. 参加団体がお店を出し, 演舞をしてくれるから初めて魅力的な学祭が生まれる. それを忘れて, 参加団体に対して上からの目線で指図するのはお門違いも甚だしい. 俺らは参加団体, お客さん全てに気持ち良く学祭を過ごしてもらう. そこに全力でやることが仕事や. それを理解せずに, 適当にやってそれなりのことやってればいい, ってやつは辞めてしまえ. 本当に好きならそんなことできないはずや. 」

適当にやってそれなりのことやってればいい

まさに, これが9月, 準備日, 当日1日目の僕だった.

準備日は総務の仕事をこなしてから4時に就寝.
当日1日目は, 何もできない自分に打ちひしがれて執行部最速で帰宅した.

当日2日目と片付け日

当日1日目で挙がった点として,

  • 晴天雨天の切り替えや企画中止を掲載する緊急掲示板が存在しない.
  • 突発的な資料作成がかなり多く必要である.

というものがあった.

情報局としては,

  • HPに事前に用意していた緊急連絡ページに掲載する
  • 緊急連絡をTwitterに投稿する
  • 突発的な資料作成の全般を情報局員で担う

という対処を行なった.

これで十分に役目を果たせたとは全く思っていないが, 来年に向けた局員への意識付けはうまくできたと判断している.

片付け日は無心で撤収作業をしていた.

執行部として参加していて感じたことと失敗

執行部の皆さんにはとても感謝している.

僕に裁量を与えてもらい

  • slackというチャットツールの導入
  • gmailへの移行
  • google driveの採用

と50人を超える組織に対する新しいチャレンジをさせていただけたこと.
決して成功だったとは言えないが, 貴重な失敗をさせていただけたのは執行部の方々がいたからだと本心で思っている.

そして, こんなにも勝手で好きなことしかしていない僕に, 打ち上げで感謝の言葉をくれた子もいた.

執行部として1年を過ごし, 当日を経験して強く思ったことは,
1個人であっても「技大祭という組織として提供できること」を
考え続けることが必要だったということ.

僕は局長期間中ずっと, 「技術で提供できること」,「自身の能力で提供できること」を追求し続けていた.
そして, 知らない間に「いい技大祭」を提供するためではなく,
「良いWebアプリを作ること」, 「ツールでより便利な環境を作ること」といった
「手段」が目的になってしまっていた.

そして, 最終的には何のために活動してるのか分からなくなってしまっていた.

この2ヶ月は非常にもったいないことをしたとおもっている.
執行部として, 技大祭として提供できることを考え続けていれば
もっと多くのものを執行部のみんなと共有し,
もっと良い「技大祭」を提供できたのだろう.

結局は僕のおごり, 僕自身の判断で機会を断ち切ってしまった.

自分自身で「チャンス」を断ち切ってしまったことが執行部として活動していて一番の失敗であった.

そして, 最後に,
この記事では自身の本心, 反省, 後悔を書いているので良い事があまり書かれていない.
が, 彼らと過ごした約半年間の活動は本当にとても楽しかったと思っている.
彼らとラーメンに行ったり, 部室でくだらないことを話したり, ひたすら真剣に会議したり.
彼らと活動できて良かったと思っているが, 途中で自ら身を引いた自分が言う立場ではないだろうな.

執行部の皆さん1年, ありがとうございました. 本当にいっぱい失敗させていただきました.